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2015年2月 アーカイブ

2015年2月25日

紫竹昭葉様「伝える力」サマリー(第3回キャリアデザイン大賞基調講演)

去る2015年2月22日、北海道帯広市で開催された第3回キャリアデザインフォーラムで、
基調講演をしてくださった、紫竹ガーデンの紫竹昭葉さん。

インタビュー形式でお話を伺ったのですが、実は事前の打ち合わせは3時間半にも及んだのです。
講演会で紹介しきれなかったことも含め、自分の記録のためにもダイジェストを書かせていただきます。


◆60才で夫を亡くし、泣いて暮らした2年間。

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毎日沈み込む紫竹おばあちゃまに、ある日娘のかずよさんは、
何気なくこんな一言を発しました。

「お母様のことをお父様はひまわりのような人だと言ってました」と。

その時おばあちゃまは「ハッ」と気づいたのだそうです。
「娘たちは、父を亡くしたばかりでなく、母もまるで亡くしたかのようにつらい思いをかけたのだ」
「夫は私のことをそんな風に思ってくれていたのか」
...と。

この娘さんの言葉の翌日には「ちゃんとしなきゃ!」と一気に立ち直り、
そして次の目標を掲げ歩み始めます。

◆お花畑を作ろう!

身体が丈夫であることから、残りの人生は、平均寿命と思えばあと残り25年。

1、自分が楽しいこと
2、一緒にやっている人も楽しいこと
3、そして社会の役に立つこと。

...をしよう!と考えます。

しかし、62才で就業経験も少なく、華道や茶道の免状は持っているけれど教えるほどとは思えずおばあさまはハタ...と考えてしまいます。

そして、ふと思い出すのです。
子供のころ帰り道にいつも花を摘んで帰ると、両親が喜んでくれた日のことを...。

当時の十勝の農業はすでに大規模化しており、
小さな花畑がどんどんと農地に変わっていった時期でもありました。

そこで「よーし、お花畑を作ろう」と思い立ったのです。

思い立ったらまず、家族に相談しました。
しかし、だれからも「無理む~り」と言われてしまいます。

次に友人に相談してみたところ「あなた何を言ってんの、絶対無理」と言われ、

農家の方に相談しても「奥様お気持ちはわかりますが、それは難しいですよ」といわれる...。

しかし、絶対にあきらめない紫竹おばあさまは、何度も何度も家族にこの話をしたそうです。

◆夢を見るのは才能です


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やっぱり私の考えは無謀なのかしら...と思っていたある日

ふと、娘婿の隈本さんがこう言いました。

「お母さん、それは夢なんですか?」

「はいそうです、私の大きな夢です」

すると次にこういわれました。

夢を見るのはそれぞれの自由ですからね、夢を見るのは才能の一つですよね」と。

そして、隣にいた娘さんも「そうね、夢を止めることはだれにもできないわね」と。

これを聞いて紫竹おばあさまは、「やった!ようやく受け入れてもらえた!」と思ったそうです。

後日談ですが、この発言をしたとされる隈本さんはこのことを「覚えていない」のだそうですw

成功する事業家に共通していえることですが、
夢を見るのも才能であれば、思い込むのも才能なのです!
ようやくここから紫竹ガーデンのスタートに向けて準備が始まります。


◆農地取得後も...「お金がかかるなんて知らなかったわ?」

さぁ、OKがでたら、まずは農地を取得せねばなりません。
当時は「ガーデニング」などという言葉もない時代。

一体何をするのか?と周りの人はいぶかります。

また新規就農は60歳まで。
60歳を超えての就農は後継者がいなければできないという最初の壁にぶつかります

しかも土地を取得した後に「お金がかかるなんて思ってもいなかった」のだとか。

木を植え、整地をし、苗を植え...。人手もたっぷりかかります。
「もちろん土地を買うのにお金が必要なことはわかっていたのよ」とニコニコ。
「銀行に行って、お金を貸してください」といって貸してもらったの、良い人ね~とw

さて、実はこのとき、紫竹おばあさまが知らなかった大きなことがもう1つありました。


実は農地に土を盛ったり、坂を作ったり、池を掘ったりしてはいけなかったのです。

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すっかりそんなことは知らずに整地して、ガーデンの基礎を作ってから、
農業委員会に呼び出されたおばあさま。
それはまるで被告人席に座るような気分だったといいます。

「すでにやってしまった、お金もかけてしまった、だから少し時間をください」
とおばあさまは訴えます。

「どのくらいの時間が必要ですか?」と尋ねる委員に

「20年...くらい」と答えたのだとか。

委員の方はあっけにとられたそうですが、もうこれはダメだ...と思われたのでしょう。

「始末書」を書いてくださいと言われた紫竹おばあさまは、
家に帰ってちゃんと娘さん夫婦にお願いして書いてくださいと言われた言葉を制し
紙に「ごめんなさい、もうしません」と書きました。

当然、「これではだめです」と言われ、書き直し、またダメと言われ書き直し...。

途中で悔しくて涙がポロリとこぼれたそうです。

最後は相手が根気負けw

その時おばあさまは「やった!私の勝ちだ」と思ったのだというからすごいことです。


この打ち合わせの最初にうふふと笑いながら茶目っ気たっぷりに
紫竹おばあさまは、私にこう言いました。

「私は、転んでもただでは起きないのよ。
 転んだ瞬間に、どう転ぶか考え、どう立ち上がるか考えています」
と。


目的がはっきりとしていれば、そこに至るまでのすべては手段である。

今回も紫竹おばあさまの行動・発言からこのことを学びました。


◆ガーデンに人がたくさんやってくる理由は、おばあさまの「NOと言わない心遣い」

さて、晴れて新規就農し、ガーデンをオープンした紫竹おばあさまですが、
最初の年は宣伝しても2000人のお客様しか来なかったのだそうです。

従業員の給料も払えない...と、娘さんと一緒に北海道中の市町村を回って営業をしてあるきました。

町の公園を、木や石ではなく、花畑のように、花がたくさん咲く憩いの場にしましょうと提案し、
十勝管内にとどまらず上湧別、旭川、函館...。
ありとあらゆる地域のお仕事をとってやられたのだそうです。本当にすごい...

お金がかかることもも知らないまま起業して25年、現在88才になられます。

現在では年間12万人以上が訪れる「紫竹ガーデン」には、
実はこんなすごい数々のストーリーが隠されていたのです。


私は、全国からお客様が訪れ、
おばあさまの姿を見て泣き出すお客様を現地で何度も見ています。

それは、みんなが自分のつらさや苦しさをおばあさまのイキイキとした姿に
重ね合わせるからなのだ...ということがわかりました。

また、これらはひとえにたゆまぬ努力のたまものであり、
お人柄に対するみなさんの熱い思いが溢れ出すから...であることもわかります。


さて、そんな紫竹おばあさまの素敵なエピソードをいくつかご紹介いたしましょう。

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◆トレードマークの帽子の秘密

紫竹おばあさまといえば、「帽子がトレードマーク」と思われる方も多いと思います。
それでは、どうしてお帽子をかぶっているかご存知でしょうか?

紫竹ガーデンのある場所から、街中まで車で片道40分。
美容院に行っている間にかかる3時間の空白時間に、
もし全国から紫竹ガーデンにお客様がいらして、私がいなかったら残念に思う方もいるでしょう?
だから私は美容院にいけないの...と帽子をとって、散切りのヘアを見せてくださいました。

「私だってオシャレしたいのよ、素敵なヘアスタイルもしたいの、でも帽子って便利よ。うふ」と。

◆チューリップ球根事件
紫竹おばあさまの魅力的なエピソードはいくつもありますが、
私がもっとも驚かされたのは「チーリップの球根事件」です。

新潟のある場所のイベントで、チューリップの花びらと球根を空から蒔くという企画があったのだそう。
もちろん実行委員会はたくさんのチューリップの球根を用意していました。
その数20万球...しかし、箱をあけてみたらカビが生えていた...。

慌てた委員会は、これは北しかない!と北海道中を探して、紫竹ガーデンにたどり着いたそうです。
そして、なんとか球根をいただけないか?と懇願され、
なんと紫竹さんは「植えてある球根を掘り返して20万球を用意した」のです。


男性の経営者であればこんな判断は絶対にしません。
何十人という人手が必要で、しかも短時間で掘り返して詰めて...気が遠くなるような作業です。

どうしてお引き受けされたのですか?と聞くと

「だってその方の立場になったらあなた、わかるでしょう?」
「私、頼まれると断れないの...」
と。

あぁ、これこそが紫竹おばあさまの魅力なのです。
私が知っている紫竹さんは決して「NO」とは言いません。
この講演会も「無理よ~」と言いながら、私がインタビューするという形でお引き受けくださいました。

ここにも成功する経営者のポイント「NOと言わない」があります。

紫竹おばあちゃまは、最後に「老後の夢」を語られました。
おばあさまの夢は

今一緒に働いてくれている従業員やお友達が、
ずっとお仕事を続けながら住み続けられる花畑の中のお家を作ること。

ずっと健康で、ずっと働いて、人生をともに全うしたい...
従業員さんへの思い溢れるお言葉に会場はみんな胸が詰まる思いでした。

紫竹おばあさま、本当にありがとうございました。

◆当日の会の運営を行ったキャリアで在ネットワークのメンバー及びキャリアデザイン大賞ノミネート者と一緒に

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プロフィール


北村 貴(taka)
フードソムリエ代表


20年間の東京生活を経て、
2004年12月、真冬に
故郷・北海道十勝へ戻る。
よく食べ、よく遊び、よくしゃべる。
特技は四葉のクローバー探し

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