今回は、北海道十勝の中小企業家同友会として
「十勝に出来ることは何だろう?」というテーマの下、
旅団の1員として福島に行ってまいりました。
主に行政や、地元の中小企業のみなさまからお話を聞くことが多く、
避難所の訪問はいたしませんでした。
また、ボランティア的な動きとも異なり、視察を行ってきました。
まず、現地に行ってみて初めて体感として理解できたのですが、
地域による地震被害の差が大きくありました。
同じ福島県内でも、原発のある地域とない地域では、
現段階で全く意識が異なります。
また、原発の地域でも、
避難区域と準備区域、それ以外の区域の3つで大きく異なります。
被災地とひとくくりで考えることは難しく、
大きく分けると3つに分かれます
1.地震の被害があった地域
2.地震と津波の被害があった地域
3.地震と津波と原発の被害があった地域
さらに原発被害のある場所では3つに分かれます。
A.20km圏内で避難生活を強いられている地域
B.30km圏内で避難準備となっている地域
C.30km圏外だが、風評被害が大きい地域
これらをひとくくりで考えることはできず、応援する立場としても、
その地域の実態にあった対応が必要であることがよくわかりました。
南相馬市は、このA、B、Cの3つの状況が町内に全てある地区です。
その切々たる思いや...
私どものように地震の被害がない地域に住む者にはとうてい理解できないと思いました。
それでも、私たちは、少しでも「今出来ること」を考えること、
これから長く続く被災地の日々を忘れないことがとても重要だと思いました。
以下、現地の中小企業の方からお伺いしたことを羅列します。
■屋内退避は、自宅待機という意味で、会社に行くことや店を開けること、
学校に行くことができなかった。
■そのため、子供がいる家庭は、学校や夫の転勤で非難区域外へ
移動した人が多く、屋内退避が解除された今も、人員不足で店を開けることが
できないところが多い。
■30kmは円で引かれているだけで、例えば自宅の敷地内でも、濃度は違う。
水はけが悪く風が通りにくい場所は、溜まりやすい。
■原発が現在進行形であり、この先が見えない。そのため、次の一手が打てない。
■もう一度、この土地で、愛してきた会社を再開したい。
もう1〜2年待ってもここにいたい。
■そうは言っても心は揺らぐ。資金繰り、従業員の生活...。
休業にすべきか?解雇にして雇用保険適用させた方がいいのか?
■原発は、安全だと40年間三世代に渡って言い続けられてきたし、信じていた。
反対する人は町から出ていけというような雰囲気さえあった。
原発があるのが当たり前の生活だった。
でも、原発は止められない、一旦暴走するとコントロールできるものではないということを
初めて知った。
『管理できます』という言葉を信じていた。
これまで甘い汁を吸ってきたのだから...と言う批判もあるが、
知らされていなかったこともたくさんあった。
使用済み燃料棒があんなにたまっていたことも、知らなかった。
ある人が、こう言っていた『我々は、人類の大いなるモルモットだ』と。
■反対運動をしていた人は40年前に今起こっていることをシミュレーションしていた。
当時のシミュレーションと同じ事が今、起きている。
■今はまだ先が見えない。いつ、避難しろと言われかねない地域にいるから。
経営者同士話していても、最後は『どうすっぺ』と溜息がでる。
■銀行の借入金、三月の支払いを止めてもらったら、13%近い金利がかかるという事を
後で知って慌てて返済した。
政府が対応していないため、通常ルールが適用されるのが実態。
政府は早急に対応して欲しい。
■企業支援施策が出ているが、30km圏内の企業には適用されないモノが多く、緊急融資もない。 この先どうなるかわからない企業には貸せない...ていうこと。
辛く苦しい宙ぶらりんの状態は、いつまで続くのか?
■溜息ばかりついていられない。30代の若者が音頭をとって、
『つながろう南相馬』をたちあげた。
まずは、たくさんの支援に『ありがとう』から始めようと思う。
以上のように南相馬市は、
屋内退避が解除されたものの、
避難準備区域という立場が様々な苦しみを更に増幅させているようです。
また、お昼を食べようにも、やっている店は少なく、
チェーンの飲食店は、ほとんどが休業しています。
一方で、小さな地元店は頑張っている。
地域にとって、中小企業や小さな小売、飲食店がいかに重要であるかを物語っておりました。
<続く>